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川底温泉
  大分県と熊本県の県境付近九重町の宝泉寺温泉のそばにこの川底温泉はあります。宿が掲示している縁起によれば、西暦901年かの菅原道真公が政敵におとしめられ、太宰府に流刑になったおり、その政敵の発する刺客を避けて、菅原部落のお寺に身を隠したことがあったらしく、その折にこの川底温泉の源泉を見つけたというものです。その後江戸時代の末期(幕末のころ)にこの村の庄屋さんが湯を広く人に利用していただきたいと設備を整え、宿としての体裁が整ったとあります。
  そのような千年の歴史を持つロマンあふれる川底温泉ですが、ただ歴史が古いだけでなく、その歴史ある源泉を全く変化させずそのまま利用していることで更に高い評価を得ているのです。それは庄屋さんは浴場を作るとき、「泉源をあるがまま利用して湯船を作った」ということ。そう、この温泉の混浴の大浴場は“足下自噴泉浴槽”となっていて、湯船に浸かっていると足下の砂利の間から湯が直接こんこんとしみ出してくるのです。実際この浴場は“川床そのまま”というイメージの作りで、露天はないにもかかわらずワイルドさそのもののイメージを保っていて、「本当に川なのでは?」とさえ思わせてくれる温泉です。唯一、本当に唯一言わせてもらうとすれば、それは自然そのまま、加水も何もしてないが故に若干湯温が高いこと、それだけです。長湯してのんびり楽しむと言うことが、しづらい浴場でした。頻繁に洗い場の石の上で「トドって」おりました。(ちなみに90分間貸し切りでした)


2008年1月訪問しました。
  渓谷沿いに建物が並ぶ川底温泉の一軒宿・蛍川荘です。   ちなみにこの川はこのまま壁湯温泉の横を通過している川です。
  橋を渡って敷地に入るといろいろな湯を利用した施設がありました。上のは飲泉場です。   これはなんなのかちょっと判別が尽きませんでした。
  旅館の入り口とは別に大浴場の日帰り用に入り口が設けられており、公衆浴場の様でした。   500円。浴場の歴史とメンテナンスの手間を考えれば、どちらかというと良心的な値段ではないでしょうか?まあ、大分物価なのでしょう。
  ここが混浴の大浴場です・・・・と颯爽と紹介したかったのですが、弱りました。撮影の事を考えて12時頃を目指していき、14時ころまでいたのですが、ご覧の通りまるでミストサウナのように湯気とも霧ともつかないものが漂い、遠くがまるで写らないのです。   近くならこれこの通り、それなりに写ったのですが。この浴場は高さの違う3つの長方形の浴槽が、縦に並んでいて、徐々に上段の湯が注ぐ構造になっています。湯は底からも湧いていますが、別に注がれてもいます。
  下:奥に白いサッシが見えますが、そこはあけると廊下で今はこの扉は開きますが使用されていないようでした。左のサッシは奥側が男性用の更衣室、手前が女性用の更衣室的な扱いになっていますが、表示は何もなく、あまり考えずに使う人がいた場合、グループでそれぞれ使用してしまうかもしれません。   浴槽はさすがに泉源をそのまま利用したものだけあり、ステップの石段も一段一段かなり段差があり、降りるときには気をつけた方がよいでしょう。湯屋は湯船の中央に数本の支柱が据えられ、それで支えられています。今、私は中断の湯船に入っています。


2008年1月再訪しました。
  これは最上段の更にその上から注がれている別源泉です。   これは最上段の湯船です。ここと下段だけ柱が直にお湯の中に入っています。
上段の湯船。 上段の湯船。
中段の湯船。 中段の湯船。
中段の湯船。 中段の湯船。
下段。 下段。
上段から中段を俯瞰。 中段。
上段から中段を俯瞰。 最上段。
  下:上段の湯船。今回あまり納得のいくものがない(というか1枚もないかも?)中、オーバーフローが写り、更に石も美しいのでお気に入りの一枚です。   上段はすぐ脇から別源泉が注ぐので特別熱く、何度も何度も出たり入ったりして動いていてのぼせてしまいました。


  上:下段。ここは適温なのですが、深さが合わず座った状態で落ち着けず。   下:一番バランスのとれていた中段が一番曇っていた・・・と。(笑)


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