温泉文化研究所特別企画 2

仁寿湯 追悼企画

  現在発行されている別府の公衆浴場マップには100軒弱の共同湯の名前が記されており、多くの方がこのリストと別府八湯温泉道に参加している共同湯のリストを元に温泉巡りを楽しまれていると思われる。
  別府の共同湯は年々減少の一途をたどっており、現在の公衆浴場マップですら、その記載されている温泉にはすでに完全廃止され、今では施設の痕跡すらなく、更地になってしまっている場所や最近”ジモ化(組合員専用浴場化)”され、我々旅の者は通常では入浴できない”一般外来入浴不能”をうたっている施設さえあるほどで、別府に魅了された多くの方が毎年ため息をつくような事態が進行している。
  ところで、この公衆浴場マップ、さすが”泉都・別府”というべきか、観光客向けのパンフレットなのに元々一般外来入浴不可の浴場(組合員専用浴場)いわゆるジモ泉(専)も相当数取り上げられている。掲載されている時点で外来可能だった浴場(例えば南石垣温泉など)は、2007年にジモ化されたので、変更が追いついていないのも止むなしと思われるが、最初から外来不可の浴場の場合、観光をする者にとっては入浴できないとうたっている施設なので、掲載されていること自体、「別府にはこういう温泉文化もあります」という文化的な側面を表す記述なのではないかと推測しているのだが、いかにも共同湯王国・別府らしい話である。その現行の公衆浴場マップに掲載されている組合員専用共同浴場の中で当研究所が最も風情ある浴場として特別の評価を行っていたのが、追分温泉である。
  当研究所、追分温泉はマップを見て訪問し、そのあまりの年期の入りぶりに感動し、しばし見とれて言葉も出なかった記憶がある思い出深い共同湯である。ほぼ木造でこさえられた浴舎はいい感じのひなび具合に熟成され、壁には一面にツタが這い、その内部にまでツタが伸びきって天井を覆う勢いで華を添えていた。木造の壁にはこれまた郷愁を誘う木枠のガラス戸やガラス窓がバランス良く据えられていて、当研究所の読者の方であれば、誰しもが一撃でやられるものとなっていた。そんな貴重な施設がこの度(2007春)、諸般の事情により、取り壊され、更地に戻された。思い出深い追分温泉を追悼し、ここにそれを偲ぶ。



温泉文化研究所(HOME) 》 別府温泉組合員専用共同湯(ジモ泉) 》  NO.32 追分温泉


追分温泉
  ここでネタばらしでありますが、実は追分温泉は「組合員専用浴場」とうたっていましたが、”追分温泉組合に加入している組合員以外は入浴禁止の浴場”ではなく、組合長さんに入浴許可を得に行けば、誰でも100円で外来可能な浴場でありました。他の浴場の様にその旨が入り口などに書いてはおらず、周知もされていなかったので、組合員の方でさえ人によっては自信がないというルールでしたが、組合長さんにも、複数の組合員の方にも確認しましたが、きちんと組合の中で認識された決まりの様でした。当研究所は2002年に初訪問し、2003年、2004年、2005年、2006年と訪問し、都合6回入浴したと思います。
  今画像を見返しても、実に味のある浴場だったなあ、というのが素直な感想です。独立湯小屋の上、採光と湯気抜きの為と思われるガラス戸の位置が独特で、更にその上に湯気抜きの空間が穿ってあり、一見すると公民館か町の武道場の様でもあり、さりげなさと郷愁を誘う感じが何ともいえません。左が女湯で、最終的に廃止される直前の画像には目隠しが取り付けられていました。(2002年初訪問時には写っていません)。
  内部は外観の渋さに比して意外に広く、浴槽は大人7〜8人クラスの四角いものでした。湯底がつるつると良く滑った記憶がありますが、定かではありません。湯は独自源泉で湯小屋のすぐ裏にお地蔵さんが一緒に鎮座する泉源があり、モーターで汲んでいる様でしたが、泉質は湯小屋内に掲示されていたデータによれば「ナトリウム・マグネシウム 炭酸水素塩泉 54度」とありました。

追分温泉は2007年3月31日に廃業しました。
このレポートにある施設は現存していません。

  しびれる様な外観の追分温泉の浴舎。このような施設を求めて当研究所は共同湯の研究を行なっているのです。   壁や天井にはツタが絡まりまくっており、また昭和のノスタルジー満載の青ペンキやガラス戸が風できしんでいました。


  上:お昼の中断時間の無人の浴場。明かりも消え、廃墟の様でした(失礼)。これは2002年当時の初訪問時の様子です。私は中断時間10分前に着いてしまったのですが、「もう誰も来ないからいいよ」と組合長さんに招き入れていただきました。その後11時30分頃写したものです。この頃女湯には目隠しがありませんでした。

  左:浴舎の背景。裏は大きな駐車場になっていましたが、追分温泉のPなのかどうかは最後まで不明でした。
  温泉が最後の明かりを閉じるまで湯煙を上げ続けた源泉。お疲れ様でした。お地蔵さんはどうなってしまったでしょう?

  下:夜終了間際の追分温泉。砂漠のオアシスの様に煌々と灯火をともし続けていました。寒い中外灯も少ない通りで追分温泉の看板を照らす蛍光灯がひときわ暖かく感じました。
  ガラス扉はモノレールのつり下げ式で見た目より遙かに軽く軽快に動きました。
  扉を開けると正面に即番台がありますが、長く使用されていない様子です。そもそもこの浴場は組合員専用浴場で外来者は組合長さん宅に直行くシステムとなっていましたが、番台さんに人がいて外来を受け付けていた時代があったのでしょうか?
  そして右を向くとこのようにウエスタンの酒場の様なバネ仕掛けの腰高の扉が休憩室と浴室とをそれぞれ仕切っていました。
  浴室側から休憩室をみるとこんな感じです。
  脱衣所一体式の浴場ですが、組合長さん初め組合の方は休憩室の椅子の上に着替えをおく方が多かった気がします。
  屋根から伝わったツタが天井にまできていました。(裏の駐車場側)。
  成分表。
  初めて入ったときの掲示の一部。最終的に組合の方の月極料金は1500円となっていて、当研究所最後には大分支所長が組合に加入することと相成りました。
  平成16年訪問時。
  平成17年訪問時。


  下:暮れなずむ追分温泉。背後は鶴見岳のシルエット。夕焼けが美しい日でした。

  上:最後の後ろ姿。   下:浴室外観。


  確かこの方が組合長さんではなかったかと記憶しています。(人違いだったらすみませぬ〜〜)   2度目か3度目の訪問時にお世話になりました。
  熱狂する主任研究員A。   なぜか2枚とも手前の湯船の縁にバッチりピントがあっていて、本人はぼけぼけになっています。



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