温泉文化研究所(HOME) 》 別府温泉共同湯 》  NO.16 梅園温泉


梅園温泉
  梅園温泉は当研究所の経験の中では裏路地系の温泉として日本一の栄冠を勝ち取りうる共同湯だと考えています。別府市の駅前通りには数本のアーケードがありますが、その中でどちらかというと元々がそんなに幅が広くはない「ソルパセオ銀座」というアーケード街から、更に、「梅園通り」という飲み屋が連なる軽自動車同士のすれ違いもままならない細い路地がのびています。その梅園通りを歩く途中でふと目をやると信じられないことに「温泉」と書かれた看板が掛かっている幅1メートルもないかもしれない通路があります。どう考えても個人宅への勝手口への通路か、飲食店か飲み屋さんの厨房への通路としか思えないこの細い路地の奥に、通路に面して別府が誇る日本一の裏路地系共同湯「梅園温泉」の入り口があります。
  梅園温泉は資料によれば大正5年(1916年)に誕生したと言うことですので、実に90年以上の歴史があることになります。スタート直後の梅園温泉はその名を「新竹瓦温泉」とも称され、今では想像もつきませんが砂湯なども備えた、機能的に本当に竹瓦温泉と比肩しうる温泉だったといいます。
  現在の梅園温泉は画像でごらん頂ける通りの脱衣所一体式の小規模な共同湯で、原則として無人のお賽銭式の100円温泉となっています。湯は非常に豊富な独自源泉で、かなり黄色みを帯びた見るからに濃そうな湯が注がれますが、源泉温度が熱すぎて常時掛け流しとはいかないようです。(源泉は好きなときに好きなだけ出せますが、数分で入浴不能な温度まで達します)


梅園温泉×
2008年1月再訪しました。
  竹瓦温泉の西方100b付近にこの梅園通りの入り口があります。進行左手に注意していると上の画像の場所に出ます。   そして路地を進むと上の画像の通路左の飲み屋さんと同じ建造物内に組み込まれてその裏側に梅園温泉の男女別の入り口が左右対称に美しく並んでいます。
  今はこのような看板がついている共同湯が多くなりました。温泉の歴史がわかり一層理解が深まります。   男湯入り口。以前はこのように派手派手しい掲示はなかったのですが・・・。
  扉を開けると右に”元番台”今料金箱、正面に決まりなどが書いてあります。終了時刻が15分早められていました。   入り口付近を奥側からみるとこうなっています。扉入ったら即脱衣所・洗い場という規模の共同湯です。
  美しい!!この温泉は本当に湯の色と洗い場の模様・そこに鎮座する湯船の妙がすばらしいバランスです。   このようにかなり黄色みを帯びたいかにも”土類泉系”の湯が注がれます。
  当研究所、この梅園温泉だけは共同湯研究者として、春夏秋冬すべてを極めようと今現在春夏冬の訪問は済ませているのですが、なぜか今まで上手に入浴画像を撮れないでいます。   特に真夏に湯気がない状態でもうまくいかないのはやはりレンズが暗いせいなのでしょうか?う〜ん、納得がいかない。



以下は2005以前のレポートです。


  別府において他の温泉地にはない共同湯など温泉施設の特性を端的に表しているのが、梅園温泉ではないでしょうか。ある意味別府の象徴の最たるものと言ってよいでしょう。あらたまった入り口や駐車スペースにいかにも温泉でございといった外観は微塵もないこの温泉は別府の湯がいかに自然に湧きだし、生活に根付いているかと言うことの現れだと感じます。
  左横:ソルパセオ銀座から飲み屋しかない小路(梅園通り)に入るとやがてどう考えても飲み屋の勝手口への通路だろうなという細い生活通路が見えます。しかししかし、この画像右上のちらりズム、なんと!温泉の文字が。


  上2つ:その細い路地の入り口側からと奧側からの視界です。やはり源泉先にありきの浴場なのでしょうか。よくぞここに共同湯を作ろうと決心されたと思います。
  内部です。左奧に外が見えています。この脱衣所の簡素さ。湯船までの近さ。自分ちのようです。
扉を外側から見るとこうです。
  そしてこの源泉、自噴なのでしょうか。浴室内にまるで噴火口のような「ぼこん、ぶこん、ぼこぶこん」という湯がわき上がる音が響き続けます。

  なんとなく中のうらさびしい照明も相まって、おどろおどろしさも感じる梅園温泉です。
  夜の湯船。明かりが映えますが、この鏡のような湯面がすごいです。浴槽の中はまるで固まったフルーツゼリーのように見えます。
  昼の湯船です。全体に色が自然です。



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